人工知能と貧困と覇権

最近の人工知能を "人工知能" として抽象化して語られることに違和感がある。 人工知能が脅威か?みたいな議論はそれが流行るたびにあった。 少なくとも僕の生きている間ではこれが2回目で、1回目は "探索" が人工知能の正体だったとき。 将棋でボナンザが台頭して一般人を軽く超えてきたと同時に、ターミネーターが人間の脅威になるという議論はいくつかあった覚えがある。

今回も "ニューラルネットワーク" が人工知能の正体で、それをブラックボックス化された状態で議論が巻き起こる。 正体を知っているひとからすると、「人工知能が怖いか?」みたいな質問はあるいみ滑稽で、 ソートのアルゴリズムは怖いか?とか、2次方程式は怖いか?とかという質問と同様にとらえることができる。 きっといつか専門外の人たちが、将棋の AI は想像を超えた量の手を読んでいると理解するように、 想像を超えた量の分類で日本語と英語を翻訳しているとなんとなくその存在を認められるようになる。 このあたりが、きっとマルチラリティの一つずつなのではないだろうか?

普通の人間にできることはそこまで多くなくて、将棋が趣味の翻訳家の友人ぐらいなら近いうちに作れてしまうかもしれない。 そしていつのまにか周りがそんな人達に囲まれた将来は、きっとシンギュラリティと言えるだろう。 たぶん人間が一日に会ったと認識する人数もそれほど多くないので、囲まれるという状況もきっとスマホで作れる。

これを思ったのは、正月の帰省で ニッポンのジレンマ を見たから。 Twitter の反応を見ると、議論そのものに文句を言っている人がいる。 横文字ばっかりとか、具体的に語れよとか。生放送ではないのだけれど。

同時に思い出されたのが年末に マンガワン の配信で見たオメガトライブ。 この中で、梶秋一という人物が自身の従える暴走族の前で総理大臣になると宣言する。 このシーンは、主人公の吾妻晴が種の入れ替わりとかの抽象的な話で解いた後に、 梶くんが「こいつらバカだから具体的なことしかわかんねーよ」という流れから続く。 「つまり俺が総理大臣になる」というのは、バカの象徴の暴走族でも具体的にイメージできる事象なのだ。 きっと梶くんならあの番組を見た後に、バカでも心が動くまとめをしてくれる。

年末に帰省して小中学校の頃の人間と会うと、相対的な貧困とはこういうことかとよく理解できる。 彼らは衣食住に不安は無いだろうし、携帯も持っている。結婚もしていてある意味自分よりも幸せそうだ。 ただ、僕の仕事については「なんか難しいこと」らしい(わかった気にさせるのは得意だと自負していたのだが…)。 タバコと酒と昔話で共通のものを見つける会話と、大学時代の研究や仕事で違う世界を共有する会話は、貧困に対して十分に相関があるように思える。 一応断っておくと、仲が悪いとか見下しているとかそういう話ではない。「幸せそうだ」と書いたのは皮肉でもなく単純に羨ましい。

「政治的な判断は Truth に従うか、 Post Truth に従うか」みたいな質問は、たぶん日本のほとんどの人間が理解できない。 理性と感情と言っても、むず痒い気分の人のほうが大多数で、共通のものを見つける会話ではまぁ全く通じないだろう。 抽象的な言葉はそれだけで分断を引き起こす。 大学入試の人工知能で人間の国語の能力の低さがわかったというのは、そのあたりの感覚値と合っている。 識字率が高いというのは字が読めるというだけで、抽象度の高い文章を理解できるのはそこからさらに絞られる。 バカ競争が原因というのは一理あるが、単に発見されただけという仮説も十分ありうる。 どちらにしろ、人間は思ったほど知的な生き物ではないらしい。

トランプというのは、そのような現実の多数に支持されたのだと思う。ヒラリーの方が正しいとかそんな話ではない。 抽象的な議論に触れる機会がある人たちは、どちらが多数なのかを勘違いしやすい状況にあるのだと思う。 ヒラリーの話す言葉は聞き取れはするが、暴走族の前の吾妻晴のように意味不明な宇宙語を話しているように聞こえる。 一方で、トランプは具体的にメキシコとの国境に壁を立てると言って、つまりはかつての偉大なアメリカにする。わかりやすい。 「偉大なアメリカ」というのは、理解できて心が動くギリギリの抽象度で、なおかつ昔話なのである。 どちらの思想が正しいとかの対立ではなくて、理解できたかできないかの違い。 我々と近い言葉を話すトランプは同じ族の仲間であり、理解不能な宇宙人は別の種族。 どちらに投票するかと言われれば、共通のものを持つ同族に投票するだろう。

戦争に関して言うと、もうドンパチやるような戦争は、覇権を争う上では主ではなくなると思っている。 今は Google や MS, Amazon がアメリカにあるが、情報を握り合ってうまく活用した方が覇権を取ると、 いつのまにか別の国の似たような企業が圧倒的なシェアを持つようになる。 それ以外の国々はきっといつのまにか丸裸にされ、やりたい放題に送り込まれて、気づいたら時代が変わっている。 覇権の圏内に入れない国々は、生産性でまともに太刀打ちできず、ストレスによって種として自ら衰退する。 去勢薬のバイオテロなど行わなくとも、人口減少はすでに起こっている。

世界で1人ぐらいは、人道的な非難を避けつつ他の種族を滅ぼす方法を考えているだろう。 覇権国家がシンギュラリティのメリットを享受する一方、 抽象論で時間を潰している国は、社会学的な戦争で意外とあっさり淘汰されるのかもしれない。

文章として吐き出したら、こんな2017年もポジティブに生きられそう。